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アダルト・チャイルド

金曜日の祖母の葬儀の後、叔母(母の妹)の家に泊まりました。
ここは、私が小さい時から、よく遊びに来ていた所。
年の近い従姉弟がいた、ということもあって、夏休みも、冬休みも
最低一週間は過ごしていたと思います。

叔母の家に泊まったのは、きっと、20年ぶりくらい。。。
従姉弟と一緒にトランプしたこと、ドーナツ作ったこと、くだらないことを
テープに録音して、それを聞いてゲラゲラ笑ったこと・・・
楽しかった昔のことが走馬灯のように蘇ってきました。

小学校入学前のことですが、家族で叔母のところに泊まり、さて、東京に
帰りますか・・・となると、私は帰りたくなくて、トイレにこもり、『残る!』 と
ダダをこねたそうです。 
母が、『みんな帰っちゃうんだよ。いいの?』と言っても、私は『バイバイ』 と
家族に手を振る子でした。

親が忙しいときは、母に浅草まで連れて行ってもらい、そこから特急に
一人で乗り、叔父に駅まで迎えに来てもらう・・・そんなことも、しょっちゅう
ありました。

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葬儀場を出て、家族は東京へ戻り、私は叔母のところへ。
コーヒーを飲みながら、叔父と叔母と話をしているうちに、昔の話へと
移りました。
そこで、叔母がポツリ。

『ナーコ(叔母が私をこう呼ぶ)、がんばれよぉ。オバちゃんは、ナーコの
味方だかんな。おまえは何をやっても自分に自信ないだろぉ? だから
それを隠すために、強がったりしてサ。 お母さんにしっかり愛された記憶が
ないから、おまえはグラグラなんよ。 オバちゃんには分かってんよ。
ナーコは、お母さんのこと大好きだけど、大嫌いなんよ。
他人に対しても、愛し方が分かんないのに、すごく愛してもらいたい
と思ってる・・・』

『・・・うん、自分でも分かってる。 今、そんな自分を癒してるトコロだよ』

『ナーコはさぁ、オバちゃんがキッチンにいると、よくキッチンにトコトコ来て
「オバちゃーん、今日のゴハンなーに?」って聞きに来て、「今日は○○だよー」
って言うと、「そっかー」って言って、あっちの部屋に行くけど、またすぐに
「オバちゃーん、今なに作ってんのー?」って来てさぁ・・・おまえは覚えて
ないかも知んないけどさぁ。 ナーコは、家では味わえない、ぬくもりを
求めてたんよ。』 

『うんうん・・・』 聞いている間に、涙がどんどん溢れてきました。

『でも、お母さんを恨んじゃだめだぞぉ。 お母さんも大変だったんだぁ。
ジーちゃん、バーちゃんといろいろあって、15、6歳で家を逃げるように
飛び出して。。。 ナーコが産まれてすぐ位に、お父さんが独立して
お店を構えただろ? お母さんは、お店のことで頭いっぱいで、しかも自分も
しっかり親に、愛されてないから、どう愛せばいいのか分からなかったんだよ。 

オバちゃんだって、大変だったよぉ。 当時、おまえ位の歳のときに、自分の子ども
二人に、姪とはいえ、他人の子を預かって。 怪我をさせたら大変だし。。。
夜中、ナーコはトイレに行くとき、「オバちゃん、トイレ」って言って、オバちゃんのこと
起こしてたんべよ。
オジちゃんだって、おまえがお風呂から出たら、髪の毛をドライヤーで乾かして
くれてたんだよ。 おまえは大事にされてたんだぞー。』

『・・・』 私はうなずくのが精一杯でした。

隣に座っていた叔父を見ると、叔父はうつむいて、目をウルウルさせていました。

『ナーコができることは、お母さんを許すこと。 そうすると、リキミが取れて
もっと楽になれるんだぞぉ。』

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母との関係は、自分癒しの過程で、良くなってきています。
私の感覚では、もう“許して”いる、と思います。

ただ、自分に自信がないこと、構えてしまうところ、それは、私のインナーチャイルドが
未だ完全に癒されていないということ、そして、別の言い方をすれば、私は
アダルト・チャイルドだということ・・・それは、自分でも理解していて、それを
癒そうと、自分なりに、瞑想したり、退行催眠を受けてみたりしたけど、ここまで
昔の私を知っている、“生き証人”からの話はズドンと私の胸に来ました。

東京に帰ってきてからも、叔母との会話が、思い出されるたび、涙、涙。
浄化・開放の涙ですね。。。

今朝、叔父から、『また、遊びにおいで』という電話。
感謝です。
by rose_light | 2006-03-19 23:57 | ひとりごと
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